写真好きもカメラ好きも全部同じと思っていましたが、撮り鉄と乗り鉄が違うように足を踏み入れると似たような趣味でも違うのだと実感できます。
沼入り前のイメージでは、みんな自分の撮った写真が好きなのでカメラやレンズにこだわるものかと思っていたのですがそうではなく、カメラが好きとかレンズが好きな「だけ」なパターンもあります。実際、今の私がレンズ好きでも撮った写真は好きでもない感じです。
また、「カメラ趣味にしてみよう」と思った時からずっと良い写真の定義がわからなかったのですが、最近「そういうことか」と分かり始めて来た気がするので最後でついでに書いておきます。いや、ついでというよりそちらが本題かも。
カメラというメカが好き
ライカという文字を見かけたならその人はきっとカメラが好きな人です。写真がどうこう言ってると思いますがカメラ好きです。ペンタックス好きも怪しいです。後で書きますが本当に写真が好きな人はカメラやレンズにこだわっていません。
私はニコンで一式そろえていますが、Fマウントのレンズの多さに目をつけただけで機械としてのカメラならCanonの方がいいと思っています。実際、EOS Kiss X2持ってますよ。レンズが夜景用じゃないので全然使ってないけど。

なぜ色々集めてしまうかは、「このカメラはどう操作しどう動くのだろう?」という好奇心から。または見栄えやレアという名のコレクターズ・アイテムな状態になるのでしょう。興味ないのでライカやペンタはロレックスやGショックと思っています。
私もキヤノンEOSとニコンD60以外に6個動くやつ持ってますがほぼ使っていません。

なぜ手放さないかは、D60やEOSには付いていない機能や違う動きをするカメラがあるため手元に置いておきたいのです。もっと言えばデザインが違うから手放したくないとも言います。

入れ物を先にそろえて何を入れるか考える、間違った贅沢な思考回路です。
レンズという光学が好き
これもライカ、そしてカール ツァイスとか言い始めている人はレンズ好きです。派生して日本のコシナーがツァイスのレンズを国内で製造しているのでそれもマニアです。描写の空気感で写真がーとか言ってるかも知れませんがレンズ好きです。
私がどハマりした沼がこのジャンルで、最終的に100本以上のレンズをバラして掃除して9割以上のほぼガラスゴミを使えるよう直しました。なぜそんなに多くのレンズを分解したかは、ニコンのオールドは売れた数が多くて安いという基盤がありつつ、レンズにより写りが違うからです。ちなみにツァイスやライカには興味ありません。
「このレンズはどう写るのだろう?」の一部がこちら。

さらにニコンのレンズは他のメーカーより全然写りが良い、その中でも単焦点が解像バキバキ、しかもオールドは特徴的なものが多い、もうコレクションしない理由がないんですよね。ねって言われても困るか。
上で「最終的に」と書いた通り、2025年3月頃を持ちましてレンズ沼病は終息しました。ピークインは2024年10月なのでちょうど半年。病気のように買いあさり、ヤフオクとメルカリの出品されるタイミングがひどい時は1日3本落札/購入なんて日もありました。

ちなみにどうして終われたか、沼から抜け出せたかはだいたいそろったからです。

後は非Aiの85mm/F1.8が手に入れば終わり。
一般的には最新のレンズが出たら欲しくなり、高性能な上位互換レンズが出たら欲しくなり、他メーカーのレンズが欲しくなったら買い足したり鞍替えしたりが普通なのでしょうけど、そういうのには興味ないです。
写真撮りたいのかレンズ欲しいのか?ネットで見る限りレンズ買って試写して満足している人が多いようです。時刻表見るだけで乗らない撮らない鉄道マニアもいるらしいと同様、それでもいいとも思いますが。
カメラで撮る行為が好き
私に写真の良さがわからなかった原因が、撮影が好きなだけな人のブログや価格.comとか掲載のもので、本人が撮る行為が好きなだけで写真のできあがり自体はただの静止画なので「???」になってしまうことです。
Mモードで設定する、露出を少々いじってみる、絞り開放のAモードでシャッターのボタン押す、そして写るまでの行為が好きなだけ。もう少しあったとしてもパソコンに日付で分けて保存するまでが好き、さらにあったとしてオンラインで公開し満足する人。
だから私はカメラ買う前まで「何でこんなしょうもない画像を公開するんだろう?」と不思議でならなかったのです。あれは「撮ったどー!」と言いたいだけなのですね。
私が撮ったトップクラスにくだらない画像の例です。

オールドレンズの24mm/F2.8を開放でぼかし露出暗めでそれっぽく撮ることが目的だったので何の思い入れもありませんから、この写真からは何も感じないはずです。だいたいドライバーのビットを見せるための画像なのだからボカす必要まったくない。
私から理解の遠い被写体ですと、ただ電車を撮っただけの静止画を見せられてもマニアじゃないので車両の価値がわからないのです。知らない人の証明写真を何種類見せられても「???」になるような。
こういうどうでもいい写真ばかり見かけると写真やカメラが趣味と言われても理解ができなくなるのです。
きれいな画像作りが好き
個人的に嫌いな写真(?)です。「?」なのは加工すればするほどただのCG(コンピューター・グラフィックス)となり写真ではなくなると言いたいからです。
おそらくカメラで色変えたりLightroomでのちょっとした加工しか知らない(できない)人はデザインの仕事でPhotoshopを片手間に使う職人の編集技術を知らないのだと思います。片手間っていうのはフォトショでさえアドビのシリーズの中の一部でしかないという意味です。
職人ではない(ディレクターです)私でさえこの程度の加工は2分でできます。

知らない人は幻想的な工場夜景の写真に見えているのでしょうか?こういうのはCGと言います。美容整形外科医が整形している人の顔を見て一瞬でどこいじったかわかるように、画像加工できる人が見れば一瞬で不自然な画像だとわかります。
何したか流れのスクショも。

明るくしてコントラストを平坦にして赤と黄色を強化、決め手はボカシ詳細でノイズをごまかして手抜きでシャープ強を2回かけて仕上げています。3回は多すぎたので引き返した。コントラストとボカシとシャープネスで油絵とかクレヨンみたいにするのがコツです。
工場夜景の本ってこういうCG集ばかりで最近見た本ならこれがすごかった。

行って眺めて撮る! 巨大工場探訪ガイド (玄光社MOOK) | 小林哲朗 |本 | 通販 | Amazon
ほぼ全部写真と言ってるだけのCGなのでリアルどういう夜景なのか全然わかりませんでした。行きつけの周南市も載ってましたがしばらく見つめて「ああ、あれか」みたいな。CGじゃないまともな写真は2枚あったかどうか。これを写真と言われたらラッセンの絵も写真です。
話戻して元の私が撮った無加工の(ニコンD60がJPG圧縮し生成した)写真はこちら。

地味だしCGと比べたらきれいではないかも知れませんが何と言おうがこちらが本物。CGの方は私が加工した画像ですから、その加工をカメラがしてもパソコンでやっても画像は画像。RAWは保存した時点でごまかす前提です。
どこまでならやっていいという境界線はありませんのでCG化が趣味の人はCGでいいのでしょう。それが写真と言いたいなら言えばいいです。あきらかに地球上の太陽の光線ではないとか、そんな色の植物は無いとか、あるあるな彩度上げすぎワロタになっても、いいね!がたくさんあればそれはそれで趣味として楽しそうです。
でもこういうのはカメラや写真が趣味とか楽しいのではなくて、画像加工で見栄えを良くして承認欲求が満たされて楽しそうなのでカメラ写真趣味とは一番遠いと思っています。露出の調整やWBの手動設定が行き過ぎた結果でしょうね。
好きと言える写真を撮りたい
「これが写真か」と今のところ唯一感じたプロの写真家のブログがこちら。どれが?と言わずに行って見てください。ちなみに中井さんはカメラマンではなく写真家です。
鉄道写真家 中井精也の1日1鉄! Powered by Ameba
カメラの性能の違いが戦力の決定的な差ではない、ではレンズか?とレンズを狂ったようにバラしつつ色々試すも「モノにより写りが違うのはわかる」としか。比較的近接した工場夜景には構図の重要性は低く、明るさいじればCGになるだけ、撮ったもの見ても「ニコンはレンズすごいね」としか。
そこにXで流れて来た中井精也氏のゆる鉄写真を見て初めて「わー何だこれ?ほっこり?」と笑ってしまった、すると撮り手の中井プロも撮る時に「わぁ~、いいですね~、ほっこり~」と笑いながら撮っていると知り、これが写真なのか!と知ったのです。
ようするに本当に写真が趣味な人は中井さんみたいな人で、「楽しい」がカメラでもレンズでもシャッター操作でもCG化でもなく、撮った写真を見た人が「わあ」と撮り手と同じ感情になれることを楽しむ趣味の人。
これが本物の写真趣味な人だと思い、中井さん本をいくつか出していると知り片っ端から買ってみました。図書館で他の人が解説した構図の基本みたいな本も借りたけど結局中井流が一番わかりやすかったです。鉄道興味ないけど撮り鉄入門や電車の写真集も借りた。

基本は下2つで足りますが左上の青いやつが本当の写真の撮り方、そして右上の小箱が200ページを超える文字だけでまとめられた中井流のすべてです。読んでみると「それだけ?」と思うほどシンプルですが、多分ご本人もそれだけしか考えずに撮影されているはず。あとは経験とセンスと想いです。
おかげで鉄道まったく興味ないのにXで電車ネタばかり流れてきてうんざりしています。
本当に心動く写真は存在した
中井プロの写真で「ほっこり」はした、教科書を読みDVDを見てそんなに難しいことは考えても言ってもなくて、おそらくこれ以上同氏の本を読んでも同じことしか書かれていないだろうところまでわかったのが数ヶ月前。
私は過去に写真はもちろん、絵画も彫刻も何もかも美術博物館などで何を見ても特に感動することなどなかったのですが、中井プロの写真は「ほっこり」が伝わった、そう思っていた2~3ヶ月後、この写真に何かよくわからない寂しさを感じて涙が出そうになりました。

出典:真島満秀写真展実行委員会 2019/07/06 投稿 – READYFOR
過去にどのような写真を見てもゴッホもラッセンも何とも思わないのになぜか寂しいとか切ないを感じたのです。もしかすると撮った真島満秀氏もそう感じていたのかも知れません。
後で知ったのは、偶然にも伝説の真島氏はゆる鉄の中井氏の師匠だったそうで。2人のプロが撮った写真の良さがわかるようになったなら他のプロが撮った写真もわかるか?と思ったのですが全然わかりません。有名な写真集を図書館で色々借りてみましたが「???」でした。
ちなみに上の写真の上下が切れていない印刷版を見たくて探したのですが、どうやら写真展とその特典のフォトブックにしか載っていなかったようです。似た写真は見つけたのですが別物。
「驛(駅)の記憶」155ページめより。

パッと見で気づく違いは、明るさ、露出、人物の有無、車両の向き、あたりでしょうか。西ホームの明かりが白飛びしているのは原版もそうで、ザラザラのノイズは印刷のドット。上はウェブ掲載の都合で16:9、下はカメラ用3:2も違いといえばそう。
中井プロの教科書で学んだ私から見た大きな違いは「主役」で、下の写真は人物が主役で電車が脇役、対して上の写真は駅が主役で電車が脇役。上の写真がすごすぎて下は試し撮りかな?と思えてしまうほど西ホームと時計の存在感と寂しさが凄まじいのです。
技術的な凄さは露出の落とし方と、あまり見なくていい奥の西看板から電車のライトまでは大きくボカす、逆に言うと存在感を強めるべく手前の西看板にピントが合っていて、プロは絞りの開け方や望遠はこういう風に使うのか、と。
真似してやれと言われたらできるかも知れませんが思いつかない。きっと構図ばかり気にした後に置きピンで電車を主役にしようとするはず。平面としての構図がどうこういう本はあっても、奥行きを詳しく語る本は(中井プロの主に前ボケなゆる鉄以外に)見たことがありません。
いい写真は撮り手の想いが伝わる写真
中井氏の小箱本のしょっぱなに書かれているフレーズで、これがプロの言い分でしょう。アマチュアは自己満足の趣味でいいところ、プロはお金になってこそ職業になるのですから。
その次のページより。マーカーも原文ママ。
写真は「写真を撮る」ために撮るのではなく、「何かを伝える」ために撮る。
シャッターを押すその瞬間に、そう考えるようになったとき、あなたの写真はきっと大きく変わることでしょう。
「もし世界に僕一人だけになったら、僕は写真なんて取らないだろう」
へえーと思って「撮っとこ」と思ってシャッター押すのは多分記録写真にあたるのだと思います。私がネットで検索して見た写真を「へえー」としか思わないのは「撮っとこ」と思っている人が多いのでしょう。または私が鈍感すぎるのか。
いずれにせよ多くの人が5つに分類した他4つに傾倒しているからこそ、私のように写真を趣味にしようとしても本当の写真が趣味の人が見つからず、どう撮ってよいのかわからなかったと感じています。
そう考えると工場夜景はターゲットとして最低です。
あの明かりは化学コンビナートとしての作業用であって何かを伝えようとはしていないし、建物も一般人に見られるよう作られたものではない、それを撮影して何かを伝えようとしていること自体がパーフェクトに間違っているとしか思えません。だから撮っていても楽しくないのでしょうね。
とはいっても昼に撮りたい(伝えたい)と感じる何かもないわけで、そういう人(私)に本当の意味で写真撮影を趣味にするのは難しいんじゃないかと思っています。
写真いじったCGが嫌いな要因?
「きれいな画像作りが好き」でディスったように、撮った後のRAWイジリは想いが変わっているから伝わるも何もなくなるのでは?と今これ書きながら思いました。

西の空がピンクに染まる美しい夕焼けにバエる工場。というのは後付したCG化で、私が撮った元の写真はこれです。

工場の明かりが点灯し始めた、または明かりが肉眼でわかるほど暗くなる瞬間を空に露出合わせて建物どアンダーにし工場の重さを残してみたかったもので、ピンクの夕焼けを伝えたいなんて微塵も想っていません。そっちはCGをバカにするため後で編集した画像です。
工場夜景の多くは「わあきれい」とは感じても、撮った人が何を伝えたかったのか全然わからなくないです?それはCGだからだと思いますし、伝えるものが工場にないからとも思います。そう考えると工場夜景というテーマは被写体として虚像なのかもしれませんね。
だがしかし、その虚像から本物を写し撮れたら本物でしょう。私はニセモノなのでムリですが、数をこなせば何かが見えてくるかも的にしつこく撮ってみます。
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